本と写真

2012.01.04 Wednesday

2012年の写真

今年最初の写真

2012年が始まりました。明けましておめでとうございます。
今年は辰年。龍がごとく、あらゆる事が大きく動いて行く年になりそうです。
どうか私たちが正しい方向へ進めます様に。
今年もたくさんの新しい写真が生み出されます様に。


今年最初に行く写真展は、山内悠さんの「夜明け」です。
富士山七合目の山小屋(標高3000メートル)で600日間暮らし、
「夜明け」の光景を撮り続けてきた山内さんの作品は、見た事の無い雲の上の世界。
2010年に赤々舎から写真集が発売されています。
年の初めに写真の力を借りて、地球の大きさとエネルギーを感じたいと思います。

赤々舎HP作家の言葉より抜粋ー
僕は富士山の山小屋で600日間に渡る 雲の上の旅 を続けました。
そこは本当に宇宙と地球の狭間であり、僕たちはこの膨大な宇宙空間の中にある
地球という星で生きているという事を心身で感じました。

そしてもうひとつの写真展は、震災の大きな被害を受けた宮城県山元町での
写真洗浄プロジェクトにより助け出され、洗浄された写真の展示です。
カメラマンの高橋宗正さんが中心になってこの写真展が企画されました。
とどけ隊でも昨年の6、7月にボランティア参加した、
日本社会情報学会災害情報支援チームによる「思い出サルベージアルバム・
オンライン」。
山元町の現場では大量の写真洗浄・複写という大くくりな状況の中で、
皆それぞれ必死に働いていたので、一枚一枚の写真に対して
瞬間的に思いを寄せただけだったと思います。
10ヶ月たった今、被災して洗浄された写真にちゃんと向き合えるか
私は全く自信がありませんが、写真と写真を撮るという事について
改めて考える時間にしたいと思っています。


山内悠写真展「夜明け」
富士山から望む奇跡の光景。雲の上の旅。
2012年1月6日(金)〜1月11日(水)

スパイラルガーデン http://www.spiral.co.jp


Lost&Found
Family Photos Swept by 3.11 East Japan Tunami
2012年1月11日(水)〜2月11日(土)



2011.12.31 Saturday

ハッピーバースディ3.11

紅白に出演した写真

YouTubeにアップされて話題になった、ユニセフのCF「ハッピーバースデイ 3.11」
をご存知でしょうか。
暮れに朝のワイドショーでフルバージョンが放映され、大晦日の紅白歌合戦では
スクリーンいっぱいに子どもたちの写真が映されました。
この写真を撮影したのは、カメラマンの小林紀晴さん。
作品がテレビで紹介される事はあっても、
その番組が紅白とは、なかなか無い事です。
CFも写真展(昨年10月、東京ミッドタウンの富士フイルムのギャラリー)も
素晴らしかったので、一過性のものにならないと良いと思っていました。
紅白で紹介され、多くの人が目にして被災地に心を寄せたことは、
とても良かったと思います。
写真の役割が生かされたなと思います。



2011.12.22 Thursday

春木麻衣子さんの写真

好きな理由は

芸術的な表現を前にした時、大体は「これ、すごく好きだ。」
と感じるかどうかだと思っているところがあって、
見た瞬間にそう思う自分の感覚を大事にしておきたいと思っています。
仕事モードで善し悪しを判断するような事は厳禁。
未完成なものの中から、光るものを見つけた時の
わくわくする瞬間が好きだからです。

馬喰横山のTARO NASU ギャラリーが出店するいろいろな写真イベントや
展覧会で、若手写真家の春木麻衣子さんの作品をみてきました。
初めてみたのはずいぶん前の事ですが、いいなと思っても
すごく好きだ、とは思いませんでした。
2009年のPARIS PHOTOの記事でも書きましたが、
プリントの技法も凝っているし、表現に対してのこだわりも相当なものです。
ヨーロッパの人からみると「ZEN」的であり、オーバーやアンダーで極端に
焼き込んだ春木さんの白や黒の色は、絵の具を塗り重ねた絵画の様です。
とても魅力的だけど、全体に女性っぽさを強く感じるところが
気になっていたのかもしれません。

一連の作品をすごく好きだと思わなかったのに、どうしても惹かれてみていました。
どうしてかなと分析してみると、都合の良い思い込みかもしれませんが、
自分もこういう風に風景を見ているなと思ったからでした。
私も何かを見る時にこう切り取るといいな、というような事を自然にしています。
夕焼けが広がっている夕暮れの空のはじっこを切り取る。
船に乗って見上げた橋に並んでいる人を切り取る。
雪が降る空を、カメラ持っていない…写真は撮れないなぁ、と思いながら切り取る。
考えてみたら、四六時中、目に見えるものを切り取っている事に気づきました。

春木さんの「切り取り方」に共感しているのだと気づいた今日この頃、
TARO NASUでオリジナルプリントをたくさん見せていただき、
すごく好きだ、と思った大四つサイズの春木作品を購入しました。
その作品の「切り取り方」は、私には真似できないストイックな緊張感がありました。


2011.12.12 Monday

日本の新進作家展

印画紙からわかること

東京都写真美術館によく出かけます。
なぜなら、写真に浸って過ごせるから。
当たり前過ぎるかもしれませんが、作品のレベルも高く、居心地もよく、
企画展も常設展も期待できる、そう言う場所が日本ではなかなか無いのです。
その中で、新進作家を紹介するこの企画も楽しみな展覧会のひとつです。

2012年1月29日まで開かれている「日本の新進作家展vol.10ー写真の飛躍」は、
5名の新進作家の最新作が紹介される写真展です。いわば、東京都写真美術館が
マネージャーとなって新人を表舞台に出すと言うようなもの。
5人の作家たちは、フォトグラム、ピンホールカメラ、コラージュ、多重露光という
アナログの写真技術を駆使した作品を制作しています。
おそらくデジタルの画像処理でほとんどのこと(画像処理とも言えること)が
できる今、手をかけた作品の制作を選んでいるのには、
それぞれの写真の出発点であるとか、写真に対する何らかの考え方がしっかりと
根付いている5人なのだと思います。

どれも時間と労力が(様々な材料、人出も含めて)かかっていることは一目瞭然。
ほとんどの作品が大型なのです。
この手のかかった作品は果たしてデジタルで作れるものか?
作品をみながら、その事が気にかかっていました。

このサイズの印画紙って存在しているんだ、というところから始まり、
近づいて初めて分かる事は、印画紙の質感、「焼かれている」ものだと言う事。
どこかに(あるいは分かりやすく)人の手の印が見つかる事が、
「手作り」であることを明確にしていました。
いつでもアナログかデジタルかということが気になってしまいますが、
どちらかでなくてはいけないと言う事ではなく、それぞれの良さを読み解くことで
写真をもっと知る事ができると思うからです。


日本の新進作家展 vol.10 ー写真の飛躍
2011年12月10日(土)〜2012年1月29日(日)

添野 和幸/西野 壮平/北野 謙佐野 陽一/春木 麻衣子

東京都写真美術館 http://www.syabi.com


2011.11.26 Saturday

山崎塾第ニ期〜1×14 Fine Prints Session

今年も写真と格闘!

浅草のレンタル暗室&ギャラリーPIPPOで企画されているワークショップ、
「山崎塾第二期」に参加しました。
昨年同様、Photo Classicのフォトディレクター・山崎信氏による
全6回のワークショップです。
8月から10月までの三ヶ月間で「銀塩写真によるファインプリントの制作と展示
まで」を行い、11月12日(土)〜11月26日(土)には
PIPPOで「11×14 Fine Prints Session」の写真展が開かれました。

前回と同じ様に皆さん、写真に関しては経験が長くセミプロのレベル。
中には写真家を目指している方もいます。
私はと言うと、子どもの頃からの写真好きが高じて今まで来たという感じですが、
こうして暗室に通うことになり、暗室作業に没頭する事が
自分の中で特別に大切な時間になるとは考えていませんでした。
一回目の参加の時と違って、無邪気に作品ができた!と喜ぶ訳でもなく、
写真って簡単ではないということ、もっとこういう写真が撮りたいと
切に思った事、写真に魅了されていることを実感したワークショップでした。

モノクロ、カラーに限らず、銀塩写真の行程から材料や大量の水が必要である事
などを考えると、今の時代に合っているかどうかは、おそらくはっきりと
断言できないでしょう。
科学の下支えがある銀塩写真というものは、写真の歴史の中で消えて行くべき
ものではないと思います。それを踏まえて現代の写真があると考えると、
写真を生み出した人と技術に対して謙虚にならざるをえません。
かなりの速度とレベルでデジタルの技術が進み続けていますが、
アナログの写真を大切にしつつ、新しい技法や考え方を積み重ねることの
おもしろさも体験して行きたいと思います。


2011.11.12 Saturday

久しぶりにふたつの写真展

写真ってなんだろう

新人写真家の登竜門のような存在になっているキャノン写真新世紀。
2011年の受賞作品の展示と昨年のグランプリ受賞者の新作展が開かれています。

中には自ら銀塩のモノクロプリントで作品を制作している受賞者もいましたが、
ここ数年は事ながら、デジタル技術を使った作品がほとんどです。
その善し悪しは前提になりませんから、まっさらな状態で写真を見ますが、
正直なところ大判デジタルプリントの質の問題と、いわゆるコンセプトありきの
考え方が主流であることに疑問を持ちます。
写真そのものをみた、という気がしなかったけれど、確かに画像は見たのです。
そもそも写真ってなんだろうという思いがわいて来ました。

帰り道に気づいたことは、こうでなければならないという決まりがないとしたら、
最後の決め手は微細な事が積み重ねられた質感なんだということです。
それは表現の魅力を形つくる土台になるもの。
写真の中では、被写体との向き合い方やそれをどう大切に扱おうと思っているか、
プリントをどう取り組んで作り上げるかに現れ、作品の決め手となるのではないか。
とりとめもなくそんな事を考えました。

同時期に開催されていた「コレクション展 こどもの情景ー原風景を求めて」では、
往年の写真家(須田一政、石元泰博、植田正治、マーティン・ムンカッチなど)が
こどもの世界をとらえた、約140点の名品が展示されていました。
今の時代ではない風景の新鮮さと、すでに評価された作品をみる安心感が手伝って、
写真をみたという実感がわいて、もう一度みたいと思ったのも当然の事です。

でも本当は、見た事のない新しい作品に驚き、引き込まれたい。
写真の可能性は果てしないのだと実感したいと思っています。

写真新世紀 東京展2011
2011年10月29日(土)〜11月20日(日)

コレクション展 こどもの情景ー原風景を求めて
2011年0月24日(土)〜12月4日(日)

東京都写真美術館 http://www.syabi.com


2011.11.04 Friday

畠山直哉×池澤夏樹 対談

悩む大人たち

恵比寿の東京都写真美術館で、写真家・畠山直哉展が開かれています。

〜東京都写真美術館HPより〜
今回は「Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ」と題して、初期の作品から
現在に至るまでの作品の中から、自然と人間との関わりを改めて俯瞰するような
作品を主に構成します。 これらの作品からは、美しく素晴らしい自然の魅力を感
じるだけではなく、時には不条理で厳 しい光景を見ることができます。長い年月
をかけて自然と人間がどのように共存し、対峙してきたかを改めて考えるきっかけ
になるでしょう。

畠山直哉展
Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ

2011年10月1日(土)〜12月4日(日)
東京都写真美術館 http://www.syabi.com

----------------------------------------------------------------------------------------
この写真展の期間中、いくつかのイベントが催され、その中のひとつ、
畠山さんと作家の池澤夏樹さんのトークイベントに出かけました。
定員190名のホールに入れないほどの人が集まっていた様子を見て思ったのは、
震災後の表現という事についての答えを、多くの人が求めていたのではないかと
言うこと。私も同じです。

畠山さんは陸前高田の出身で、津波でお母様を亡くされたという悲しい現実があり、
トークの中では、当然のように震災の話題が中心になりました。
その畠山さんが何を考え、どうやって写真を撮って、撮って行こうとしているかを
すがる思いで聞いていました。
震災から少なくとも今の時点ではこうだというあるがままを話された事に、
私は表現をする人の誠意を感じて、
知性ある大人二人が大きな災害を前にうろたえているということが
わかっただけでも、少し安心したようなところがあります。

そうそう簡単には答えは出ないが、それでいいのだ。迷ってうろうろと歩き回って
いることでそのうち何かわかるだろう、という悲観ばかりではない
将来をイメージしているような雰囲気も、お二人から発せられた
多くの言葉から感じることがました。
以下、あくまで私個人が対談を聞いてiPhoneにメモした、たくさんの言葉の断片です。
私自身、表現すると言う事においてこの対談から何かを感じ取れたと思っています。

10/26 都写美

(池澤夏樹、畠山直哉トークイベントメモ)

成層圏の夕日の美しさは、人間の生活の場では見られないところにある。
人間に対して自然は無関心である。自然は無関心で、しかしそれは悪意ではない。

被災地にて→陸前高田では何かがしたくてシャッターをきる。叫ぶ、と同じ。
地上から30センチくらい浮いて、ふらふらさまよって写真を撮っていた

幾度となく出かけている被災した土地で何もできなかった→いまだに湧いてくる疑問を抱えてウロウロしているだけ→考えを仕立て直すことができない→泣くしかない→満たせない器が残った

どんな時に泣けてきたか→思いがけず人から優しくされてふと涙がでた

出会った美しさを写真に撮るかどうか?
南極で記録としてクジラを撮る→感動するくらい美しいクジラは撮らなくても記憶する。偶然に別の場所で会いたい。
欲張る事はしない

一回しかおこらないことを撮るか?
カメラが動かないこともあるかもしれない→待ち構えてとることがない、自分の写真はハンティングではない。決定的瞬間を追わない

発破の連写作品について→鳥が飛んでいるのか最後に写っている24カットをつなげた。鳥を入れるか入れないがで作品の意味が変わる

救いのような自然現象に対して→自然に対して意味付をしてはいけない
そんなに自然はあまくない。そのことには気をつけなければならない
自然に対して最後の最後に救いを期待する。鳥に意味付してしまう、というようなことは危険だとしてきた。しかし震災後、それを自分に許すようになった

著作「春を恨んだりはしない」
何とか言葉にしなければいけない→
作家のできること→震災の全体像をつかむために書いた。凄まじい体験が無数にあった


デジタルとアナログについて→デジタルもアナログも像を写す、ということについては同じ。写っているものはどちらでもいいものはいい。フィルムには自然科学の根っこがある。それがあってこその今であることをふまえているかどうか

対局的にみるとどちらでも同じ。
フィルム→デジタルだとリアリティがなければ写真をやめるという選択もある。例えば、フォトグラムの作家はやめざるをえない
現代では、混ざり合っても写真としての魅力、概念があるはずだと思いたい

(おそらく、文学、美術を含めた表現について言っている)

「美しいもの」として提示されている「美しくないもの」をがまんできない→それについて真剣な議論をしたい→今までは黙って見過ごしていたものに対して発言して行く→正しく厳しく線引きをするつもりでいる→なぜなら、今、現実はもっと深刻なはずであるから



2011.10.31 Monday

塩釜フォトフェスティバル2011

被災地のフォトフェスティバル

震災後7ヶ月が過ぎた秋、10月12日(水)〜23日(日)に宮城県塩竈市で
塩竈フォトフェスティバル2011」が開催されました。
複数の写真展、ワークショップ、写真洗浄などが企画されました。
まだまだいろいろなことが回復していない被災地の中で、
塩釜は早く復旧が進んだ場所です。
表面的にはずいぶん整って来た様に見える町ですが、被災地であることには
変わりなく、いまだに港の施設は完全な営業はできずにいますし、
住民の皆さんの心の傷はまだ癒されていません。

そんな中で開催が決まった時、私も一昨年と同じ様にJR塩釜駅近くの
カフェ・ニッチで「ミーカフェ」を作る協力をしました。
実行委員の平間至さんの愛猫ミーちゃんは3月に亡くなりましたが、
ミーちゃんファンと来場者の方たちの憩いの場所となるミーカフェを
開店しようと言う事になり、今年に限って支援金にするためのカンバッチを
作ったり、沿岸部の支援をしている仙台在住の方たちにボランティアで
店作りにご協力いただきました。
その方たちとは、フォトフェス以降もつながりを持ち続けて、
とどけ隊では宮城県内の仮設住宅でのバザーなどの協力をしています。

被災地でイベントを立ち上げるのは規模に関わらず大変な事です。
いつもの何倍も気を使い、予算が減るのは当たり前の事で、
誤解も反感も協力も楽しみもいろいろ混ざった中で進める事になるでしょう。
実行委員の方たちの努力は大変なものです。
そういう状況の中でどんな写真作品が応募されるのか、とても興味深い事でした。
大賞に選ばれたのは、倉谷卓さんの「カーテンを開けて」。
親子でもうまくつき合う事ができなかった障害のある父親が亡くなった後、
改めて父と言う存在を見つめ直した作品です。

大きな災害のあと、被災地に暮らす人でなくても
そばにいる事が当たり前過ぎて気にかけなかった周囲の人たちの存在を見直し、
強く感じる事になりました。多少の抵抗を感じつつも身近な人を
改めて見つめる事になったのは、自分の居場所を確認する事が
地に足をつけて生活して行くための入口になるからなのだと思います。

被災地で開かれたフォトフェスティバルは、写真に興味を持つ人、
写真を目指す人たちにとって、写真表現というものを改めて考えさせる事になった
意味のある数日間だったと思います。



2011.10.25 Tuesday

津田直 写真展

ブータンの光

三年ぶりに開かれた津田直さんの写真展です。
国民が感じている幸福度NO.1と名高い国、ヒマラヤの王国・ブータンで撮影された
作品が展示されています。
仏塔や若い僧侶たち、霧に包まれた樹々など、簡単には立ち入れない場所という
厳かな空気が感じられる作品たちでした。

hiromiyoshiiギャラリーの白い壁の白さを忘れるほど落とされた照明から
浮かんで見えるものは、日本から遠く離れているブータンの景色ですが、
ぎりぎりの暗さまで落とされた照明は、よく見ようとする行為を促すことになり、
自然と「そこにある何かをじっと見つめる」ことになります。
津田さんは、ブータンの寺院に入った時の暗さ(逆に言えば、明るさ)は
このくらいの光なんです、とお話しされていました。

写真は普通みるものですが、この写真展で、津田さんは現地の空気と光を
伝えようとしたのだと思います。


津田直 写真展 REBORN “Tulkus’ Mountain (Scene 1)”

2011年10月29日(土) − 11月26日(土)
hiromiyoshii URL:http://www.hiromiyoshii.com

------------------------------------------------------------------------------------

同じ時期、関西でも写真展が開かれます。
奥琵琶湖を舞台に制作した作品シリーズ「漕(Kogi)」の集大成である
『漕 −そでの中の話−』。

津田直『漕 −そでの中の話−』
2011年11月11日(金)〜11月27日(日) 11月15、16日休館

成安造形大学【キャンパスが美術館】内、ギャラリーアートサイト
http://www.seian.ac.jp/gallery/event/164/


2011.10.17 Monday

トップページ更新しました

森と鹿たち



自然を写した写真ばかりが気になっていた7月頃、
小林紀晴さんの八ヶ岳の写真を見せていただいた。
さりげない、特別な計算無く撮影された森の中でのひとコマ。
一見、風景そのままを素直に写したような作品に、いま強烈に惹かれています。
自然は私たちがどうにか出来る物ではないということを思い知らされてから、
演出も足し算も引き算もない写真の中にこそ、
ごく小さな大事な物を見つけられると気づいたからです。

登山者の声が聞こえて来そうな明るい森の道で、
突然現れた鹿たちに、私たちはハッとして立ち止まる。
鹿が見ている先には何があるのか、鹿の目が捉えている何かに
想像力を広げてみたいと思います。
私たちはそこに当たり前のようにある自然に対して、
時々、ハッとして目を凝らすことを忘れてはいけないのだと思います。
そのことを教えてくれた一枚です。


| 1/9PAGES | >>

Home 表紙の一枚 山の読書便り 本棚から レンズの旅 明日の写真 パリ アート手帳 本と写真blog 「本と写真」のこと mail